神々の乱心

松本清張の絶筆となった未完の長編ミステリー小説。

本当は、現在読み進めている松本清張全集を読破してから読むつもりでいたのだが、まだまだ先は長そうであり、つい我慢が出来なくなって手を出してしまう。しかし、本作には直接のモデルになった「島津ハル事件」以外にも、「昭和史発掘」で作者が取り上げているエピソードが数多く関係しており、まあ、そちらを先に読んでいたことがせめてもの救いだった。

さて、本作の黒幕となる“月辰会研究所”は、1921年に発覚した大連阿片事件の関係者である秋元伍一(後の平田有信)が、満州で知り合った道院九臺子院会長の江森静子の協力を得て立ち上げた新興宗教団体であり、本拠地は埼玉県比企郡梅広町(=この町は架空のものらしい。)にある。

そして、その月辰会の秘密に迫るのが埼玉県特別高等警察課第一係長の吉屋謙介と子爵家の次男坊である萩園泰之の二人であり、別々の有能な探偵がお互いに付かず離れずの関係で事件の捜査に当たるという設定は、ちょっと珍しいのではなかろうか。

面白かったのは、月辰会の本拠地が埼玉県ということで、個人的に馴染み深い場所、地名等が頻出するところであり、例えば、その別院とされる喜連庵が所在するのは、先日、妻と一緒に訪れたばかりである唐沢山の麓。その傍にある天応寺というのはさすがに架空の寺だろうと思ったが、念のため地図で調べてみたら今でもちゃんと存在していた。

また、これに限らず、大から小まで、作者の蘊蓄がたっぷり詰め込まれているところも本作の大きな魅力の一つであり、直接ストーリーに関係のない事物についてもそれなりに詳細なコメントが添えられていることが多い。まあ、最近の流行には反するのかもしれないが、それが大作ならではの風格のようなものを醸し出しているのだろう。

しかし、その傾向は物語が進むに連れて次第に影を潜めてしまい、最後の「月辰会の犯罪」では、重要だったはずの殺人事件の謎が秋元と静子の会話だけで次々に明かされてしまうという、まさかの駆け足状態。作者は「連載はあと10回も要らないよ」と言っていたらしいが、おそらくそれは自らの体調不良に気付いたことによる軌道修正の結果であり、体調が万全であれば小説版「昭和史発掘」ともいうべき大長編小説になっていたのではなかろうか。

ということで、皇室内の派閥争いがテーマになる前に終ってしまったのはとても残念なことであり、きちんと完結していれば天皇制に内在する暗黒面みたいなものに対する言及も期待できたかもしれない。誰か、この続編を書いてみようと思う勇気あるミステリー作家は出てこないのでしょうか。