劇場版「鬼滅の刃」無限列車編

今日は、妻&娘と一緒に大ヒット上映中の「鬼滅の刃 無限列車編」を見てきた。

鬼滅の刃」に対する我が家の認知度は、俺がTVアニメのみ(=勿論、U-NEXT経由)、娘がコミックスとTVアニメ、そして妻はTVアニメを時々横から眺めていたくらいと各々差があるが、“劇場版”の記録的大ヒットのニュースを聞いては無視する訳にもいかない。公開3週目の故、混雑もいくらか緩和されたかと期待してみたが、予約はほぼ満席状態であり、改めてその人気のもの凄さに驚かされながら映画館へ向かう。

さて、ストーリーはTVアニメの終了直後から始まっており、新たな指令を受けて鬼殺隊の“柱”のひとりである煉獄杏寿郎と共に無限列車に乗り込んだ炭治郎たちが、列車に潜んでいた下弦の壱・魘夢と死闘を繰り広げるというもの。当然、観客はここまでの展開を把握していることが前提になっており、まどろっこしい説明がすべて省かれているところが誠に有り難い。

実は、TVアニメでは、本作のもう一人の主人公と目される煉獄杏寿郎に関する情報がほとんど提供されていない(=伏線が張られていない)ことに少々不安を感じていたのだが、そんな心配は全く無用であり、本作の随所に挿入された回想シーンによって彼の出自が次々に明らかにされていく。

そして、彼の行動原理の根本が、亡き母の残した「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」という言葉にあったことが判明した直後に悲劇的な最期を迎えるという演出はとても効果的であり、確かに、(メインとなる観客の年齢層を考慮すれば)伏線を張るよりもこっちの方がずっと分りやすいという計算があったのだろう。

これに限らず、この“分りやすさ”が「鬼滅の刃」シリーズの大きな特徴の一つであり、登場人物の感情は彼らのモノローグによってそのまま直に観客に伝えられる。また、水の呼吸や雷の呼吸、そしてどこかの総理大臣が国会答弁で引用して失笑を買った“全集中の呼吸”のように、使用されている言葉にも単純明快なものが多く、「新世紀エヴァンゲリオン」以来の悪習に染まっていないところがとても好ましい。

また、前出の煉獄の亡母の言葉からも分るとおり、比較的ストレートに“正義”を主張している点も最近のアニメでは珍しい特徴であり、主人公側に俺の大嫌いな“ヤンキー臭さ”がほとんど感じられないのは大変素晴らしい。正直、TVアニメの第一回目を見たときには今後どうなることかと思ったが、よくぞここまで踏み止まってくれたものである。

ということで、映像も美しく、作品的には十分満足のいくものになっていたが、唯一心配なのは今後のアニメ化のスケジュール。このまま“劇場版”だけで進めるとなると、年2本ペースで公開しても完結するまでに相当の年月を要すると思われる故、是非ともTVアニメとの併用をご検討頂ければ幸いです。