遙かなるアリランの故郷よ

栃木県朝鮮人強制連行真相調査団が1996年7月から1年余に渡って実施した調査の記録。

足尾近辺の山々を歩いていると、朝鮮や中国人労働者の慰霊に関するモニュメントを目にする機会がたまにあり、いま何かと話題になっている徴用工問題と足尾銅山の関係について少し勉強しなければと考えていた。そんなときに目に付いたのが本書であり、さっそく読んでみることにした。

さて、本調査のベースになっているのは、本書の末尾にも収録されている「足尾銅山朝鮮人強制連行と戦後処理」という論文であり、それを執筆した駒澤大学経済学部の古庄正教授が1995年7月に栃木県在住の“民衆史研究家”である猪瀬建造氏宅を訪れ、「ひきつづき調査と整理、分析」を依頼したのがそもそもの発端だったらしい。

その後、栃木県内における朝鮮人強制連行の実態を取りまとめた「知事引継書」が1996年2月に情報公開されたのを契機に、同年7月、栃木県朝鮮人強制連行真相調査団が結成。その後、1年余に渡る現地調査等が行われるが、軍関係の文書が「闇から闇へと葬り去られ」ていたり、当時の目撃者の「記憶のうすれや喪失」等によって調査は難航し、結局、「この報告書はあくまでも中間報告書の形で世に問うことしかできな」かった、とのこと。

まあ、そんな訳で足尾銅山関係については巻末の古庄論文を読むのが一番手っ取り早いのだが、それによると1940年8月から1945年5月までの間に2,416人の朝鮮人労働者が「官斡旋」又は「徴用」という方式によって古河鉱業株式会社足尾鉱業所に強制連行されている。(正式に官斡旋が実施されたのは1942年2月からであり、それまでは「募集」によっていた可能性もあるが、実質的に両者を区別する必然性はない、とのこと。)

そのうち期間満了によって退所できたのは409人だけで、危険な就労環境での「酷使虐待」に耐えきれずに逃亡したのが839人(=彼等の逃亡を積極的に援助した日本人?もいたそうである。)、死亡したのは31人となっており、その他病気等で中途退所させられた者を除く873人が終戦当時、足尾銅山に残っていたらしい。

彼等は会社に対して「滞山中の待遇の改善、退職手当金の支給、帰国の促進を要求して立ち上がり」、難航の末、1945年12月5日に一応の妥結を見ることになるが、実は「これには裏があ」り、同日以前に「『終戦帰国者』の85.4パーセント(700名)までがすでに帰国の途についており、鉱山側が『協定書』に従って『退職慰労金』や『特別慰謝金』を支給することは、不可能であった」。

この他にも、古庄教授は1945年11月4日に起きたという朝鮮人労働者たちの「暴動」を「一切の補償を抜きにして朝鮮人労働者の即時送還を図る」ための「銅山側のトリック」、すなわち捏造であった可能性が極めて高いと考えており、「『紛争解決』を引き延ばしながら、その一方で米占領軍を利用して朝鮮人労働者の即時送還を強行し、事実上補償金や未払金の支払いを拒否するという銅山側の計略は、見事に効を奏したといってよいだろう」というのがこの論文の結論になっている。

この古庄論文以外で興味深かったのは、「知事引継書」にも記載されていない「旧陸軍省軍需省関係の飛行場建設や地下飛行機製作工場、地下銃砲工場、地下爆弾庫建設に強制連行された朝鮮人の処遇」に関する調査の記録であり、中島飛行機大谷地下工場建設のために「大谷地区には『3000人以上の朝鮮人がいた』との証言もあ」るとのこと。

残念ながら、こういった軍関係の施設に関する書類は「闇から闇へと葬り去られ」てしまったため、その実態を正確に把握することは困難だが、「知事引継書」や古庄論文に記載されている15事業所、5,413人を含めると、栃木県内には1万人を優に超える数の朝鮮人労働者が強制連行されていたことになるらしい。

ところで、本書を読んでいて感じる最大の違和感は、朝鮮人労働者を雇用していた事業者が調査対象から除外されていることであり、「いまでも古河さんに楯突くことができない雰囲気があった」という猪瀬氏の発言からも真相解明に消極的な事業者側の態度が推測できる。朝日新聞に掲載されたという「協定書があったという話は聞いておらず、当時、企業として補償に応じたのかどうかもわからない」という現在の古河機械金属のコメントを読むと、そのあまりの不誠実さに思わず怒りが湧いてきてしまった。

ということで、本書の執筆を担当した猪瀬建造氏のことをネットで調べてみたのだが、戦争中に「労工狩り」と呼ばれる中国人狩り出し作戦に従事したことがあり、それへの反省から、戦後、日中友好協会栃木県支部が始めた足尾銅山強制連行追跡調査団に加わって「中国人殉難烈士慰霊塔」の建立に尽力されたとのこと。まことに立派な責任の取り方であり、機会があれば、そのへんの経緯をまとめた「痛恨の山河」という本も読んでみたいと思います。