堀田善衛全集3

「時間」と「夜の森」という2編の長編と8編の短編小説を収録。

直接のお目当ては「時間」だったのだが、田舎の図書館には1955年が初版の新潮社版も2015年に再版された岩波現代文庫版も置いてなかったため、やむを得ず全集に収録されたものを読んでみることにした。ちなみに、筑摩書房から出版されているその全集も古い1974年版の方であり、現行の1993年版とでは編纂内容が相当異なっているようである。

さて、その「時間」はこの巻の冒頭に収録されており、陳英諦という南京の海軍部に所属する文官が1937年11月30日から翌年10月3日までの間に綴った日記という体裁がとられている。この間に起きた歴史的大事件といえば“南京大虐殺”に他ならず、この作品はそれを被害者である中国の知識人の視点から描いている点が大きな特色になっている。

何故そのような無謀とも思われかねない手法を採用したのか考えながら読み始めたのだが、そのヒントは作品のあちらこちらに散りばめられており、その中の一つを引用するなら「まずあらゆるものを、敵の挙動も味方の挙動も正確に、原型にまでつきもどして見る」必要があったから、ということになるのだろう。

そのためには「宿命論の穴倉に逃げ込む」ことなく、「人間的なものの亡失を要求する戦争状態のまっ只中」に(精神的な意味において)踏み止まって「何事も、敵に関しても味方に関しても、よし公平にではなくとも、少なくとも正確に伝えていかなければなら」のだが、それが出来るようなキャラクターを現地の日本人の中に見出すことは到底不可能。

何故なら、彼等は「彼等自身との闘いを、その意志を悉く放棄した人間達」であり、作中で比較的理性的な人物として描かれている桐野大尉にしても「彼は主人であることに堪えない。疚しさを感じる。教授に堪えず、将校であるに堪えず、孤独に耐え得ない。びくりと身を引こうとする。身を引いて、隅っこに追い詰められ―暴発する」程度の人物にすぎない。

作者は「逃亡と暴発、これが南京暴行の潜在的理由ではないだろうか」と考えているようであり、目の前の困難から目を逸らし続けた結果、日中戦争~太平洋戦争という悲劇を引き起こしてしまった日本人と、「農民が、火器がなければ、暗夜に鍬をとって襲いかかるように、知性」を道具として使い、「考え抜くということ」を選択した主人公を対照的に描きたかったのだと思う。

一方、当時の日本軍による「三週間にわたる、殺、撩、姦」の内容については、日記という制約上、主人公が見聞きしたものに限られるが、正直、それだけでも読み進めるのが苦痛になるくらい。彼の妻が妊娠9ヵ月の身重であるという設定に思わず悪寒が走ったが、あまりの残酷さに筆が進まなかったせいか、最悪の描写だけは避けられていた。

ちなみに、南京大虐殺についてはその被害者数の推計値を理由にイチャモンをつけようとする人々が存在するらしいが、それに対する作者の回答は「死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ」というもの。また、「世界で最も美的感覚を欠いた、白に赤丸の旗」という主人公の感想は、まあ、言われてみれば確かにそうなのかもしれないなあ。

もう一つの長編である「夜の森」は全く予備知識なしに読んだのだが、それはまるで「時間」の鏡像の如き作品であり、やはり日記の体裁をとっているものの、書き手は巣山忠三という陸軍歩兵二等卒。日付は1918年9月8日から翌年7月6日までであり、テーマも南京大虐殺からシベリア出兵へと変わっているが、我等が皇軍のやっていることは似たようなものであり、この極寒の地で敵兵や住民の大量虐殺を繰り返す。

正直、シベリア出兵に関しては“大日本帝国の犯した愚行の一つ”くらいの認識しか持っていなかったのだが、解説の菊地昌典氏によれば、その実態は「公然たる『侵略戦争』」。結局、「チェック軍を保護救援し、あわせてロマノフ王朝を顚覆し露国の皇室国体を破壊した過激派を征伐せん」という建前は嘘であり、「どの国もみな自分の云うことを聞く政府を、このシベリアにうちたてようとて兵力や財力を使うことに専心しているもののようである」ことが主人公の目にも明らかになってくる。

さらに内地から伝わってくるのは1918年に発生した米騒動のニュースであり、それに加わった同胞の行為を聞いて、「これでは過激派と同じである」、「これではまったく革命みたいなものである」という感想を抱くのだが、残念ながら主人公の思考は「悲しいかな、小学校を出ただけの自分には、どうやって考えたらいいものか、さっぱりわからんのだ」というレベルから発展することはない。

友人になった社会主義者の日本人通訳から、ロシアでも「米騒動が革命になったのですよ」と教えられても、「こういう開進した高級の考えを信じるについては…学問とか身分とかが要ると思われる。…一等卒、百姓の小悴にはどうも過ぎたる、矢張り過激の考えのようであった」と、それ以上突き詰めて考えることを拒否してしまう。

結局、「とにかく日本という国には、貧乏人や寒晒しの我々などが如何に怒ってみても、その怒った顔を、氷が解けるように、いつのまにか、なにかは知らんが解いてしまうような仕掛が備わっておる。我々自身の方にも、何かしらん、ケロリとなるようなものが備わっておるようである」ところから一歩も踏み出せず、「ああ我が国はウヤムヤの国柄なり」と嘆きながら悲劇的な結末を迎える(らしい)。

この「例のウヤムヤ式」に対する疑問、悲憤については、やはりこの巻に収められている「はやりうた」、「曇り日」、「G・D・からの呼出状」等の短編でも姿を変えて取り上げられているのだが、特に「曇り日」の中の「敗戦を…終戦と言った。…占領軍を…進駐軍と言った。…誤魔化しやいいくるめを、自分自身めいめいに仕掛けるのだから、大した才能である」、「おれのなかにもそういう奴隷がいるというのだ」という文章が印象に残った。

ということで、現在の中国やロシアの状況を考えると“革命を起こした奴隷”と“革命を起こさなかった奴隷”のどちらが幸福なのか、正直、答えに窮してしまう。しかし、少なくとも、後者が前者を嘲笑するのを聞くと「何だかしらぬが、へんに悲しいような、なさけないような、精のぬけてゆくような、気がする」のは事実であり、とりあえず「希望は、ニヒリズムと同じほどに、担うに重い荷物なのだ。われわれは死ぬまでこの荷物を担ってゆく義務がある、とそう思っているのだ」という「時間」の主人公の言葉を大切にしたいと思います。