昭和史発掘 特別篇

昨夏に一応読了した松本清張の「昭和史発掘」の“特別篇”。

収められているのは、単行本の方には収録されなかった「政治の妖雲・隠田の行者」と「『お鯉』事件」の2話と、昭和50年という節目の年に行われた3つの対談。前者に関しては、昭和史として「正面からとりあげるほどのものでもない」のだが、8年間に渡る長期連載中の“肩ほぐし”のために最初から番外編として執筆されたものらしい。

さて、「政治の妖雲・隠田の行者」で取り上げられているのは、「明治の終りから大正にかけて日本のラスプーチンとかいわれ、その怪物ぶりを発揮した」という飯野吉三郎。職業(?)は占い師だが、「東京で小学校に勤めていたが、神示を受けて郷里岐阜県の恵那山に立籠もり、陰陽学を究め、仙術を体得した」と吹聴していたと言うから、まあ、その実態は詐欺師かペテン師の類いだったのだろう。

しかし、「人の心をつかむことには一種の天才であった」そうであり、愛人だった下田歌子(=女官として昭憲皇太后に仕え、一時期、伊藤博文の愛人でもあったらしい。)をはじめ、「宮中、政界の大物の間を泳ぎまわっている間に得た」情報をネタにした“予言”によって、山県有朋児玉源太郎といった有力者たちを次々に虜にしていったとのこと。

とはいうものの、本家ラスプーチンに比べるとスケールは相当小さかったようであり、歴史に残るようなことと言えば1910年の大逆事件のでっち上げに関与した(=奥宮健之が幸徳秋水から爆裂弾の製造法を訊かれたことを山県に告げ口した。)ことくらい。「昭和に入ると、も早、飯野のような人間は出てこないと思われる」と著者は書いているが、おそらく今のまま独裁制エスカレートしていけば、ラスプーチン的人物の活躍する場も広がっていくのだろう。

次の「『お鯉』事件」では、1934年に司法大臣だった小山松吉が収賄行為で告発された事件を取り扱っており、“お鯉”というのはこの事件で小山法相に不利な証言を行った女性の芸者時代の名前。明治の宰相桂太郎の「愛妾として名が高く、明治政界裏面史に大きな役割を演じている」人物だったらしい。

結局、この告発自体が、小山法相への私怨と斎藤内閣に対する倒閣運動とが絡み合った茶番であることが判明し、お鯉は逆に偽証罪で有罪判決を受けてしまうのだが、興味の大半は「年齢よりは若くて非常にきれい」だったという彼女の魅力に依るところが大きく、まあ、当該倒閣運動の背後に軍部内閣の成立を企む平沼騏一郎の存在が透けて見える点を除けば、確かに「正面からとりあげるほどのものでもない」事件と言うことになるのだろう。

さて、3つの対談の方には、それぞれ「戦前篇 不安な序章―昭和恐慌」、「戦中篇 吹き荒れる軍部ファシズム」、「戦後篇 マッカーサーから田中角栄まで」というテーマが付されており、最初の「戦前篇」で松本の相手役を務めているのは、広田弘毅の生涯を描いた「落日燃ゆ」を発表したばかりの城山三郎

「昭和史発掘」で取り上げた時期と一致しているためか、議論をリードしているのは本来ホスト役を務めるはずの松本の方なのだが、西園寺公望高橋是清浜口雄幸井上準之助といった個々の政治家に対する城山の熱い“思い入れ”が伝わってくるところが面白く、このへんが両者の作家としての資質の違いなんだろう。

「昭和恐慌」を引き起こした原因の一つとして、城山が「経済のことをよく知らぬ連中が、(台湾銀行救済の要否を)政争の具にしてしま」った点を挙げているが、これは我が国の現政権にも見られる“政治主導”の危険性。対談の最後では「形をかえたファシズム」、「もっと糖衣にくるんだようなファシズム」に対する懸念が表明されているが、この対談の行われた年の2月にサッチャーが保守党党首に選出されていることを考えると、両者とも新自由主義の予兆みたいなものを感じ取っていたのかもしれない。

次の「戦中篇」のお相手は「人間の條件」で知られる五味川純平であり、1939年のノモンハン事件以降の話題に関しては彼が議論の主導権を握っている。彼が度々口にしているのは、明確な戦闘目的(=引き際)を定めずにズルズルと深みに嵌っていく旧日本軍の悪弊についてであり、「寡兵をもって大敵を破る」という彼らの信条(=というより美学?)についても明確にその合理性を否定している。

また、興味深いのは松本の「満州だけに局限していれば何か便宜的な解決はついていたんじゃないか」という発言であり、その理由は「当時としては漢民族にとって満州は伝統的に異民族の地だった」から。日ソ中立条約の締結直後に「御前会議で対ソ武力発動を決定している」ことをもって、1945年8月に「ソ連が入ってきたことを難詰する権利を、日本は…失っていたのではないか」という五味川の「言い分」も面白かった。

そして、最後の「戦後篇」に登場するのは、唯一作家ではない、哲学者の鶴見俊輔であり、「昭和史発掘」の守備範囲を超えているせいもあってか、巻末の「解説―同時代史としての『昭和史発掘』」を担当している有馬学氏の言うとおり、「ここでの主役は、鶴見の独特の戦後史理解であるように思われる」。

そんな「独特の戦後史理解」に含まれるのかどうかは分からないが、一番興味深かったのは「農地改革とか財閥解体とか、独占資本の分散だとかを行なった民政局(GS)配属のニューディーラー」の存在。彼らがその後の一億総中流時代の基礎を提供してくれたのは確かなのだろうが、そのことが「自然に、農民に社会主義でなくてもいい、という考え方を植えつけた」というのは皮肉なことであり、結局、新自由主義の強烈な巻き返しにあって今日の格差社会を招来してしまう。

また、憲法9条のアイデアについて、鶴見は「日本政府から出てきたものではないでしょう」と認めながらも、幣原喜重郎にとって「戦争を放棄する国家がなければならない、という考え方は自然に出てきたものだと思います」と述べている。これに対し、松本も「軍部に対する彼の怒りが新憲法の『戦争放棄』を心情的には容易にうけいれさせたとも考えられ」ると同意しているが、この「怒り」は当時の大衆の中にも広く共有されていたのだと思う。

ということで、公害反対運動に関して、「工場労働者が自社の企業エゴに味方している現象は困ったものです。…もっと民衆の一人という意識になって内部告発の過程をすすめてほしいですね」という松本の発言で対談は幕を閉じる。それから45年後、「企業エゴ」は“日本スゴイ”という糖衣にくるんだナショナリズムにまで成長してしまったが、その責任を、改革を途中放棄させられた「民政局(GS)配属のニューディーラー」に押し付ける訳にはいきません。