松本清張全集32

「昭和史発掘」と「身辺的昭和史」という2編のノンフィクション作品を収録。

前回、全集の第3巻を読んだ時点で早くも“全巻読破”の目標に黄色信号が点灯してしまったのだが、まあ、推理モノにはちょっと飽きが来たところだったので別のジャンルの作品をつまみ食い。発表順からすれば「日本の黒い霧」を先に読むべきなんだろうが、ここは気分を盛り上げるためにも著者の代表作の一つである「昭和史発掘」を選択。

さて、家長三郎の解説によると、本来の「昭和史発掘」は「単行本13冊にわたるたいへんな力作であり、後半7冊を占める「二・二六事件」の外に、各冊平均3篇、合計17篇を含んでいる」らしいのだが、この全集に収録されているのはそのうち「石田検事の怪死」、「朴烈大逆事件」、「芥川龍之介の死」、「北原二等卒の直訴」、「三・一五共産党検挙」、「佐分利公使の怪死」、「潤一郎と春夫」、「天理研究会事件」、それに「スパイ“M”の謀略」の9編。

時代的には大正15年(=この年の12月25日から昭和元年になる。)以降に起きた事件が取り上げられており、内容は、迷宮入りの殺人事件(?)に関するもの、朝鮮人や部落差別に関するもの、文壇関係等々、なかなかバラエティに富んでいるが、中でも共産党に対する迫害を取り上げた「三・一五共産党検挙」と「スパイ“M”の謀略」の2編が興味深い。

大正12年9月の関東大震災の際、「官製のデマによって憲兵や民衆に襲われた」共産党員たちは、一時、解党の危機に立たされるものの、海外からの叱咤激励もあって大正15年12月4日の第三回大会で党の再建に着手。そして、昭和3年2月の総選挙直前、党創立以来初めて大衆の前に自らの存在を明らかにする!

しかし、当時、既に施行されていた治安維持法によれば共産党は“非合法”な存在であり、三・一五事件、四・一六事件という2度の大検挙によってほとんどの有力メンバーを失ってしまう。著者は「三・一五共産党検挙」において、「今から見て、当時のこの『党の公然化』が適切な戦術だったかどうかは疑問」であり、地下組織が完全に出来上っていないという「未成熟の組織のままに、公然化したのだから、徹底的に叩かれたのは当然である」と厳しく指摘している。

これに対し、官憲による摘発がいかに巧妙だったのかを描いているのが「スパイ“M”の謀略」であり、「現在でも…出身地がどこなのか、それまでの履歴がどうなのか、ほんとうのところははっきりしていない」という「松村」なる人物(=党内における地位は家屋資金局担当)をスパイに使って、共産党の世評を失墜させる(=大森銀行強盗事件)とともに四・一六事件から逃げ延びた残党を一網打尽にしてしまう。

(「身辺的昭和史」によると)学生時代に「四・一六事件が起き、その余波で私も検挙」されたという著者は、当然、当時の共産党に対して同情的であり、そのことに対して異議を申し立てるつもりは毛頭ないのだが、この二つの作品を読んだ率直な感想は“戦前の共産党って、ほとんど何も出来なかったんだなあ”というものであり、昔何かで読んだ覚えのある丸山真男共産党批判をつい思い出してしまった。

また、時節柄気になったのは「天理研究会事件」であり、中山みきを教祖とする天理教本部から追放され、自ら天理研究会を率いることになった大西愛治郎の天皇制批判は正に奇想天外。彼は当時の“神国日本”を「仮の天皇を中心とした仮の神国」に過ぎないと断定し、「唐人である天皇が日本を統治することを神が立腹している(=当時の司法省調査部による解釈)」と主張する。

今話題の“万世一系”や“皇統連綿”に関しても、「いままでの天皇が、それでも万世一系、皇統連綿であるとするならば、一般人に至るまでことごとく一系であり、連綿ならざるをえない。―つまり、人間はいっさい平等であるから、なにも天皇に限られたことではなく、一般人といえども毫も天皇と変わるところはない」と一蹴し、まあ、これは大西の主張の方が合理的だろう。

ということで、上記以外にも城山三郎の「落日燃ゆ」にも登場したエリート外務官僚の死の真相を探る「佐分利公使の怪死」等々、興味深い内容の作品が揃っているのだが、解説の家長が「『昭和史発掘』の白眉」と断言する長編「二・二六事件」が何故か割愛されてしまっているのは残念至極。仕方がないので単行本の方で読んでみることにします。