霧が晴れた時

恐怖小説の名手としても知られる小松左京の“自選”による恐怖小説集。

全部で15編の短編小説が収められているのだが、傑作として名高い「くだんのはは」と「保護鳥」は他のアンソロジーか何かで読んだ記憶があるので、今回初めて読んだのは残りの13編。

山歩きがテーマ(?)になっている「すぐそこ」や「霧が晴れた時」、SF色の強い「影が重なる時」や「蟻の園」等々、興味深い作品が少なくないのだが、今回読んでみて一番面白かったのは「召集令状」であり、強力な“妄想実現能力”を有する狂人が再び我が国を戦争の惨禍に引きずり込んでいくというストーリーは読んでいてとても恐ろしい。

作品中に悲惨な戦闘シーンが登場する訳ではなく、どこからともなく送られてきた召集令状を受け取った人々が謎の失踪を遂げるというだけの話なのだが、先の大戦でも実際に国内が戦場になるまではそんな雰囲気だったに違いなく、これまであまり考慮されることの無かった“いつとも知れない徴兵をただ待つことの恐怖”を十分味わわせて頂いた。

ちなみに、この作品で戦争を引き起こすのは特殊な能力を持った一人の男の“憎悪”なのだが、実際に国を戦争へと導くのも多くの国民の憎悪のエネルギーなんだろう。最近の弱者や外国人に対する厳しい批判の背後には、謂われのない憎悪のような感情が透けて見えることが少なくないのだが、その平凡な心せまい批判者にそれほどの憎悪を吹きこんだのは一体誰なんだろう?

ということで、井戸を掘ろうとしたら次から次へと大量の人骨が出てくるという「骨」も大変面白かったのだが、最後のネタバラシまで読んでも何だかスッキリしないところが唯ひとつ。途中であどけない顔つきの童僧を連れて現れる「年齢はいくつかわからぬが、無鬚童顔の、慈悲にあふれた顔つきの僧侶」の正体って一体誰だったのでしょうか?