落日燃ゆ

東京裁判でただ一人文官として絞首刑になった広田弘毅の生涯を描いた城山三郎の小説。

正直、広田に関しては戦時中に総理大臣を務めたこと以外ほとんど予備知識はなかったのだが、本書によると福岡県在住の貧しい石工の息子として生まれ、大アジア主義を標榜する玄洋社の援助を受けて東京帝国大学に入学。卒業後は長い外交官生活を経て1933年に外務大臣に就任し、二・二六事件直後の1936年3月に58歳で総理大臣に任命されている。

このときは1年足らずで内閣総辞職となるものの、その後も外務大臣重臣会議のメンバーとして敗戦のときまで国政の中枢に関与。そのため東京裁判ではA級戦犯としてその罪を問われることになるが、公判中は自らの無罪を主張することなく沈黙を貫き、1948年12月、70歳のときに絞首刑に処せられている。

勿論、有能な外交官であったこの主人公は政治家になってからも平和外交の姿勢を維持しようと努めるのだが、「外交の相手は日本の軍部」という言葉からも分かるとおり、彼が行おうとした和平交渉の数々は予想を超えるような軍部の暴走によってことごとく頓挫させられていく。

まあ、同じ軍人でも(おそらく富裕層出身者の多かった)将校クラスになれば、当時、武力的手段を選択することが我が国にとって得策でないことくらいは理解したのだろうが、(おそらく戦争がなければ単なる平民に逆戻りしてしまう)佐官クラス以下の軍人にとっては戦争こそが立身出世の道であり、それをみすみす諦めてしまう訳にはいかなかったのだろう。

一方、そんな軍部に対抗すべき主人公の人生哲学は「自ら計らわぬ」であり、う〜ん、それは有能な官僚の処世術としてなら認められたとしても、政治家としては無責任のそしりを免れ得ないシロモノ。おそらく彼の最大の過ちは、(自ら計らった訳ではないにしろ)政治家になることを最後まで固辞しなかったことだと思う。

ちなみに、以前読んだ山本周五郎の「樅ノ木は残った」の主人公もそうだったが、これらの作品の背景には“時勢に堪え忍ぶことの美しさ”的な感覚が見え隠れしているような気がする。パワハラが日常茶飯事だった頃のサラリーマン(=現政権下の官僚たちも含む?)には、そんなところに共感できたのかもしれないなあ。

ということで、我が国における戦中・戦後の偉人といった場合、科学芸術分野以外で思い付くのはいずれも金儲けの上手かった人たちばかり。その間、いったい我々は何をしてきたのかというと、あまり胸を張って言えるようなことは見当たらず、おそらくそのような怠惰の蓄積が現在のような政治・社会的頽廃の原因になっているのでしょう。