焼肉ドラゴン

今日は、妻&娘と一緒に劇作家の鄭義信の初監督作品である「焼肉ドラゴン」を見てきた。

カンヌ国際映画祭パルム・ドールに輝いた「万引き家族」も絶賛上映中ということで、個人的にはどっちを見に行くかちょっと迷ったが、我が家での人気は大泉洋>>>リリー・フランキーであり、妻&娘のご意向を伺ったところあっさり本作に決定。在日コリアンの暮らしを題材にしたコメディ作品らしいのだが、まあ、いつものとおり事前学習は極力控えて映画館へ。

さて、ストーリーは、大阪万博の頃、伊丹空港近くのバラック街でホルモン焼き屋を営んでいた金龍吉一家(=龍吉、英順の夫婦に静花、梨花、美花の三姉妹、それに末っ子の時生)の暮らしぶりを描いているのだが、意外に真面目な内容であり、期待していたほど笑いどころは多くない。

一応、直情径行型の英順の他、静花に思いを寄せる尹大樹や梨花の夫である李哲夫(大泉洋)といったところがコメディリリーフを務めているのだが、その笑いの隙間から“在日コリアンの苦悩”みたいなものがジワジワと滲み出してくるため、気楽に笑ってもいられないっていう感じかなあ。

例えば「ドリーム(2016年)」のような作品の場合、同じ“差別”の問題を取り扱っていても、笑いあり、涙ありの人情喜劇として立派に成立しているのだが、当該作品に見られた“未来への希望”みたいなものを本作に見出すことは困難。その原因が、ワシントン大行進を起こせなかった我々の不甲斐なさにあると思い至ってからは、一層笑えなくなってしまった。

また、お笑い以外の面で気になったのは映画と演劇との違いであり、静花と梨花と哲夫による三角関係の描き方(=ポイントになる時点の状況だけを示し、その間の経緯は観客の想像に委ねる。)自体は元になった舞台とそう変っていないのだろうが、映像が途切れることのない映画で演劇のような“間”を確保するのはやっぱり無理。

そのため、想像する機会を奪われてしまった観客にはストーリーがブツ切りのように見えてしまう訳であり、本作でも一度だけ使われていたが、回想シーン等の映画的手法をもう少し多めに取り入れ、観客の負担を軽減する必要があったのかもしれない。(まあ、一番良いのは、舞台の再演を見に行くことなんだけどね。)

ということで、在日コリアンの問題に限らず、我が国には全国的な社会・政治問題を市民運動によって解決したという成功体験が一度も無い訳であり、実話ベースで“未来への希望”みたいなものを映画化することが出来ない現状。しかし、「スミス都へ行く(1939年)」のようにフィクションとして描くことは可能であり、むしろ今だからこそそういった擬似成功体験が必要とされるのではないでしょうか。