戦時期日本の精神史

鶴見俊輔が1979年にカナダのマッギル大学で行った講義用のノートを書籍化したもの。

副題に「1931−1945年」とあるとおり、著者は第二次世界大戦の始まりを1931年に起きた中日戦争と考え、それと太平洋戦争とをひと続きのものとして捉える“15年戦争”の立場に立っており、その間に起こった様々な出来事を通して日本という国の精神史を解き明かそうと試みる。

その際のキーワードになるのが「転向」であり、「日本で1920年に使われ始めた言葉で、1930年代に入って広く使われるように」なったというこの言葉が意味する現象には、「(国家による)強制力が働くということと自発性がある」という2つの側面が存在するらしいのだが、著者はこれを必ずしも否定的なものとして考えていない。

その理由は「まちがいのなかに含まれている真実のほうが、真実のなかに含まれている真実よりよりわれわれにとって大切だと考えるから」であり、灯台社の明石順三にみられる「完全な常識人」としての感性や女性転向者である九津見房子の「日本の男性知識人のあいだに見出すことの珍しい弾力性」といったものを高く評価している。

おそらくそれはリリアン・ヘルマンマッカーシズムの嵐の吹き荒れる中で最後の拠り所とした彼女自身の「まともさの感覚」にも通じるものなのだろうが、最後の「ふりかえって」の章を読んでいると、こういった庶民的な、まあ、誤解を恐れずに言ってしまうとプリミティヴな感覚を「知識人によって使いこなされるイデオロギーの道具よりも大切」と過大評価してしまうことには若干の危惧を覚える。

正直、我が国の鎖国性に対する著者の評価には良く分からない点が多く、俺の誤読である可能性も高いのだが、「国土として土地を保証されている」という一種の“安心感”みたいなものが「普遍的原理を無理に定立しない」という“寛容さ”を産み、その結果、「生活のほとんど全ての側面にわたって異議申し立ての例」が見つけられるような社会が構築された、という著者の認識はちょっと楽天的すぎるんじゃないのかなあ。(まあ、この明るさが鶴見の魅力ではあるのだが。)

また、仮にそうだったとしても、所詮、鎖国性に由来する寛容さや「多数派のやさしさ」なんてものは身内だけに通用する話であり、「地球上のちがう民族のあいだの思想の受け渡し」において有効に機能するとは到底思えない。(しかし、現政権下における無様な外交の責任をそれだけに帰してしまうのもまた誤りであろう。)

ということで、約40年前の講義ノートにもかかわらず、家族旅行で訪れたばかりの広島や今話題の米朝首脳会談の“発端”ともいえる日韓併合に関する話題から、「グレイテスト・ショーマン(2017年)」のP.T.バーナムの名前を冠したリングリング・ブラザーズ・アンド・バーナムに至るまで、何故か最近の俺の生活と関わりのあるエピソードが満載。最終章で「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男(2015年)」のダルトン・トランボの名前が出て来たときには、思わず笑ってしまいました。