ボヴァリー夫人

1856年にフランスで発表されたギュスターヴ・フローベールの代表作。

サマセット・モームの「世界の十大小説」にも選ばれた古典的名作ということで、いつかは読んでみようと思っていた作品なのだが、たまたま入手したのが岩波文庫の1960年改訳版ということで人名表記がちょっと古くさい。しかし、テーマや(特に共進会の場面における映画のフラッシュバックを先取りしたような)文章表現はとても160年以上昔の作品とは思えないくらい現代的であり、度々映画化されているというのも素直に頷ける。

さて、ストーリーは、年長の開業医シャルル・ボヴァリーと結婚した美貌の若妻エンマの奔放な恋愛遍歴、まあ、一言で言ってしまうと不倫を扱ったものであり、新婚早々の彼女が「ああ、なぜ結婚なんてしたんだろう」と嘆くのを読んで思わず気分が重くなる。

確かに夫のシャルルは風采のパッとしない無趣味な男として描かれており、妻の不満に気付かないこと自体が罪なのだろうが、彼女を深く愛していることだけは間違いのないところであり、う〜ん、同じく風采の上がらない俺としては、読んでいてどうしても彼のことが気の毒になってしまうんだよなあ。

まあ、エンマにしても当時の女性として出来ることは限られており、結局、最後は遊ぶ金欲しさにシャルルの財産を使い果たしてしまい、毒をあおって命を絶つのだが、この生き方以外にどんな生き方が出来たのかというと、自分で独立して生計を立てることが許されない以上、夢を諦めて不幸な結婚生活を続けるしかなかったのだろう。

当然、この結婚が最初から間違いだったという見方もあるだろうが、それが間違いかどうか結婚するまで分からないというのが現在まで続く大きな不幸の原因であり、まあ、今だったらさっさと離婚してしまえば良いのだから、その点だけは進歩したと言えるのかもしれないね。

ということで、一点、良く分からなかったのは、エンマを破滅に導く呉服屋ルウルウの意図であり、商売的にはお客を破産させてしまっては代金の回収に困るだけだろう。金を融通する見返りにエンマの体を要求する公証人ギョーマンと最初からグルだったという可能性もあるが、う〜ん、いまひとつしっくりこない気分です。