カリガリからヒットラーまで

先日拝読させて頂いた「重力の虹」で紹介されていたジークフリート・クラカウアーの著書。

著者は、ヴァイマル(=本書での表記は「ワイマール」)共和国時代のドイツにおいて、約10年間にわたり新聞の学芸欄編集員として活躍したという人物であり、彼が1947年に米国で発表したこの作品で試みたのは、「ドイツ映画の分析を通じて、1918年から1933年にいたるドイツにおいて優勢であった深い心理学的諸傾向を、あばきだす」ということ。

彼は、第一次世界大戦末期の失敗に終った“革命”からヒットラーが政権を掌握する直前までの期間を「大戦後(1918−1924)」、「安定期(1924−1929)」、「ヒットラー政権直前の時期(1930−1933)」の3期に区分し、それぞれの期間内においてドイツ国内で製作された映画の数々を社会学的な見地から分析しようと試みる。

最初の「大戦後」における最も重要な作品はロベルト・ヴィーネ監督の「カリガリ博士(1919年)」であり、その後しばらくの間、ドイツ映画は“圧政か、混沌か”という主題を繰り返し取り上げるようになる。それは圧政を打ち破る「真の自由」を知らないままに「社会的変革、政治的変革をきらっている中産階級の気持ちを、正当化する」ものであり、F.W.ムルナウの「ノスフェラトゥ(1922年)」や「最後の人(1924年)」、フリッツ・ランギの「ドクトル・マブーゼ(1922年)」や「ニーベルンゲン(1924年)」といったドイツ表現主義を代表する傑作群がそこに区分される。

その後、ドーズ案の受入れにより景気が一時的に好転したのが「安定期」なのだが、マルクの安定とは裏腹に「真のドイツ映画は静かに死滅」する。その理由として著者が注目するのは、元々権威主義的な傾向の強かった大衆がにわかに息を吹き返した共和政体の民主的原理によって陥ってしまった「内的麻痺状態」。その前では、ラングの「メトロポリス(1927年)」さえも「こけおどしの荘重体の顕著な例」の一つにされてしまう。

そして世界恐慌と共に幕を開けるのが「ヒットラー政権直前の時期」であり、トーキー映画への移行に伴って「会議は踊る(1931年)」のようなオペレッタ映画を量産する一方、「嘆きの天使(1930年)」や「M(1931年)」のように麻痺状態から抜け出た未熟な大衆の求める「徹底的なサディズム」を反映させた名作を生み出すことになる。

同時期には「制服の処女(1931年)」のように権威主義的態度を批判する作品や戦争の悲惨さを訴える「西部戦線一九一八年(1930年)」のような作品も発表されるが、いずれも「当時の権威主義的諸傾向」の前では力不足であり、様々な反逆者たちを描いた他の作品も随所で「ナチ精神との親近性」を例証する結果になってしまっている。

まあ、以上が本作のほんの概略であるが、実際には俺が聞いたこともないような数多くの映画作品があらすじ付きで紹介されており、頭の中でそれらの映像を想像しながら読んでいるだけでもとても楽しい。特に、渡米前のエルンスト・ルビッチ(=本書での表記は「ルビッチュ」)が撮った「パッション」等の歴史映画は是非一度見てみたいものである。

ということで、ヒットラー前夜のドイツの状況を取り上げている訳であるが、「混乱よりもまだしも専制政体の方がましだというメンタリティ」とか「中産階級が急速に没落しつつあること、そしてその中産階級がどんな犠牲を払っても、この没落を認めまいと決意していること」といった大衆心理は現在の我が国でも良く目にするところ。「多くの注意深いドイツ人でさえ、最後の瞬間まで、ヒットラーを重大な問題と考えることを拒否し、かれが権力を掌握した後でさえ、この新しい政体を一時的な異常事件としか見ていなかった」そうであり、我々も今のうちから十分注意しておく必要があるのでしょう。