ウンベルトD

1951年作品
監督 ヴィットリオ・デ・シーカ 出演 カルロ・バティスティ、マリア・ピア・カジリオ
(あらすじ)
年金生活者のウンベルト・D.フェラーリ(カルロ・バティスティ)は愛犬のフライクと一緒に暮らしていたが、生活苦からアパートの家賃を滞納してしまい、冷淡な女家主から部屋の立退きを要求されてしまう。困った彼は、とりあえず手持ちの懐中時計や本を売り払って家賃の一部を工面し、それを女家主の使用人であるマリア(マリア・ピア・カジリオ)に渡してとりなしを頼んでみたが…


ヴィットリオ・デ・シーカが「ミラノの奇蹟(1951年)」と同じ年に発表したネオレアリズモ映画の代表作の一つ。

ウンベルト(=発音を聞いているとユーベルトに近い。)が住んでいるのはローマにある古いビルの4階であり、フロア全体を所有している女家主からその一室だけを間借りしているらしい。まあ、家賃を滞納してしまったのは確かに彼が悪いのだろうが、そもそもの原因は、家賃を支払うとその月の食費にも事欠いてしまうという年金の支給水準の低さにある訳であり、あながち彼だけを責める訳にもいかない。

また、女家主の方にも近々再婚(?)の予定があるらしく、新婚生活向けにフロア全体のリニューアルを計画しているために今回の立退き要求は強硬。これは家賃の不足分を何とかするしかないと思い至ったウンベルトは、ついに物乞いの真似まで試みようとするのだが、プライドが邪魔をして上手くいかない。彼の代わりに帽子を咥えて道端に立つフライクの姿は、う〜ん、惨めすぎて笑うに笑えないなあ。

昔の知人が、彼の不景気そうな姿を認めただけで露骨に“関わりたくない”という態度を示すシーンは、当時の社会の雰囲気をよく表現しており、貧しさというよりも精神的な余裕の無さを感じてしまう。そんな世の中は、ウンベルトのような老人だけでなく、父親の分からない子どもを身ごもってしまったマリアのような若者にとっても決して住みやすいとは言えないだろう。

ということで、出演者に素人ばかりを起用したという本作にはチャップリンの悲喜劇に見られるような演劇的な救いも無く、せめてマリア役にシルヴァ・コシナでも起用してくれていたらなあと思いながら見ていた。社会保障の切下げが続く我が国も、近い将来、本作で描かれたのと同じような社会になる可能性は大であり、さっさとアベノミクスには見切りをつけて新たな道を模索し始めるときだと思います。