木曽路旅行(第1日目)

今日は、妻&娘と一緒に一泊二日の日程で木曽路旅行に出掛ける日。

ちょっと前に島崎藤村の「夜明け前」を読了して以来、その小説の舞台となった馬籠〜妻籠間を歩いてみることが俺の目標の一つになっていたのだが、家族の理解もあってようやく好機到来。GWの交通渋滞を心配した妻が(我が家としては異例の)早立ちに同意してくれたため、午前8時半頃には妻籠宿の町営第2駐車場に着いてしまった。

さて、本日の宿となる「民宿 坂本屋」に荷物を預かってもらい、さっそく念願の木曽路ハイキングに出発。俺の勘違いでいきなり反対方向に向かって歩き出してしまったが、少し先に立っていた案内図のおかげでミスに気付くことが出来、気を取り直して約8km先にあるという馬籠宿に向かって歩き出す(9時1分)。

ルートはダラダラの上り坂といった感じであり、藤村の「夜明け前」や「新生」のあらすじ等を妻&娘にレクチャーしながらのんびり歩いて行く。第1チェックポイントの大妻籠(9時40分)を過ぎると少々山歩きっぽい雰囲気になってくるが、まあ、山道と呼ぶほどの急傾斜はほとんど出てこない。

木曽路をちょっとだけ外れたところにある男滝・女滝(10時19分)の周辺では数組の旅行者が休んでいたが、どうやら我々とは逆に“馬籠→妻籠”の方向に歩く人の方が多いみたい。確かに馬籠の方が妻籠より標高が高いのでその方が楽チンらしいのだが、今回は馬籠行きの適当な時刻のバスが無かったし、まあ、日頃の山歩きで鍛えている(?)我が家なら問題ないだろうという判断で反対方向から挑戦してみることにした次第。

さて、コースのほぼ中間に位置する一石栃(10時56分)に着くと桜をはじめとした花々が満開であり、立場茶屋でお茶をごちそうになりながらゆっくり休憩。茶屋の人の話によると今年の桜は例年より一週間ほど遅いとのことであり、GW中に満開の桜を見られるのはとてもラッキーとのこと。娘はここのマスコットである柴犬の“きなこ”の写真を撮って遊んでいた。

立場茶屋を後にすると本日の最高地点である馬籠峠(801m)はもうすぐであり、11時39分に到着。当然のことながらこの峠を過ぎるとルートは下り基調となり、自然に足取りも軽くなる。馬籠宿のすぐ手前にある展望広場(12時22分)からは憧れの恵那山の姿を目の前に見ることが出来、うん、いつか登ってみたいなあ。

馬籠宿に着くと旅行者の数は一気に増加し、比較的空いているお店に入ってお蕎麦、五平餅、栗善哉、かき氷で空腹を満たす。その後、島崎藤村の生家跡に建つ「藤村記念館」に入ってみるが、俺から「新生」の説明を聞いたばかりの妻&娘は“藤村派”ではなく“こま子派”になってしまったようであり、藤村の光の部分しか紹介されていない展示内容に少々不満顔。

「夜明け前」に登場する万福寺のモデルである永昌寺には、賑やかな藤村ファミリーの墓碑からちょっと離れたところに青山半蔵こと島崎正樹の墓碑がひっそりと建てられており、その前に立って思わず感無量。挫折続きだったこの人の人生を日本の近代化と透かし合わせてみせた「夜明け前」は(作者の人間性はともかく)やっぱり一大傑作なんだよね。

その後、15時発のバスに乗って妻籠宿まで戻ってくる。昔懐かし「インベーダー」のゲーム機が置かれている甘味屋さんで時間を潰してから「民宿 坂本屋」にチェックインすると、ある事情により本日の宿泊客は我々一家族だけだということが判明し、民宿初体験の娘もほっと一安心。

さて、入浴と夕食を済ませてしまうとようやく周囲が暗くなってきたので、軒先の行灯に明かりが入った宿場街をブラブラお散歩。もう開いているお店は一軒も見当たらなかったが、微かに聞こえてくる木曽節の声のする方に歩いて行ってみると「妻籠宿 ふれあい館」なる場所で観光客相手の木曽踊りの講習会(?)が開かれている。

誘われるまま踊りの輪の中に入ってみたが、12の動作からなるという木曽踊りは結構複雑であり、悲しいことに手と足の動かし方がなかなか上手く一致しない。しかし、途中で篠笛や三味線の独演を聴かせてくれる等サービスは満点であり、下手は下手なりに楽しい一時を過ごさせて頂いた。

ということで、ハイキングに始まって木曽踊りに終わるという長〜い一日もようやくこれにて終了。最初、昭和天皇の写真に床の間付きという民宿ならではの雰囲気を気味悪がっていた娘も次第に馴染んでくれたようであり、家族一同、大満足のうちに眠りに就くことが出来ました。