ミス・シェパードをお手本に

今日は、東京に出張したついでにマギー・スミス主演の「ミス・シェパードをお手本に」を見てきた。

彼女の演じているミス・シェパードは、おんぼろバンに全財産を詰め込んで各地を放浪するホームレスの老女であり、近頃はロンドンのカムデンにあるグロスター・クレセント通りをウロウロ。何カ所か駐車場所を移動した末、アラン・ベネットという劇作家の家の前庭に車を止めさせてもらえることになるのだが、何とそれから彼女が神に召されるまでの15年間に渡りその関係が続くことになる。

にわかには信じ難い話ではあるが、本作の脚本を担当したアラン・ベネット本人の実体験がベースになっているとのことであり、ほとんどのエピソードが事実に基づいているらしい。まあ、そのせいでストーリーに説得力は出てくるのだろうが、反面、事実に引っ張られてしまうためにどうしても“よく出来たお話”にならないところが困りもの。

実は、ミス・シェパードにも“交通事故で人を死なせてしまった”という秘密の過去があるのだが、結局、“その謎が明らかにされたところで大団円”みたいな分かりやすいストーリーにはなっておらず、また、それをネタにして彼女を脅迫し続けていた悪徳警官も何のお咎めも受けないということで、ちょっとしたモヤモヤ感は最後まで解消されない。

まあ、そんなささやかな不満はあるものの、本作のテーマは謎解きにあるのではなく、老女と中年男性との心の交流にある訳であり、特に、年老いた自分の母親との同居を拒み続けているアランが、見ず知らずのミス・シェパードに対しては自ら(嫌々ながらも)救いの手を差し伸べるという展開はとても興味深い。

小津の「東京物語(1953年)」でもそうだったのだが、際限の無い義務や責任から逃れられない肉親にとって老人の介護はあまりにも大きな負担であり、あくまでも限定的な責任しか負わない他人の方がずっと適役なのは間違いないところ。本作でも、ミス・シェパードの最期を取り仕切ったのはケースワーカーや葬儀屋というプロの他人だった。

ということで、介護や育児の社会化を推進することについては個人的に大賛成なのだが、保険料や税の負担を増やすことによって国民から嫌われたくないポピュリストたちに支配されている現政権下では、まあ、到底無理な話だろう。医療や福祉、教育など必要な支出はすべて税金で賄い、残った金は全部自由に使えるという仕組みにした方が景気も良くなると思うんですけどねえ。