1964年のジャイアント馬場

1976年のアントニオ猪木」や「1985年のクラッシュ・ギャルズ」等の著作で知られる柳澤健の本。

といっても、アントニオ猪木クラッシュ・ギャルズにはあまり興味がないのでそれらの作品は読んでいないのだが、取り上げられているのがジャイアント馬場とくれば話は別。彼こそは俺の敬愛して止まないスーパー・ヒーローの一人であり、うちの子どもたちが小さかった頃、“世界で一番強いのは?”、“世界で一番偉いのは?”という質問に対しては、常に“馬場さん”と必ずさん付けで答えていた。

さて、内容的にはアメリカでの武者修行時代におけるエピソードの紹介に相当のボリュームが割かれており、若かりし頃の馬場さんのポスター等を興味深く拝見させて頂いたのだが、それに対し、力道山の突然の死によって急遽帰国してからの内容が全く駄目。鬼畜米英的な色彩の強かった力道山時代のプロレスを、少しずつ健全な娯楽へと導いていった馬場さんの功績が全く無視されている。

まあ、確かに人気の点からいえば70年代後半以降の新日本プロレスに及ばなかったのは事実であるが、そのきっかけとなった“過激なプロレス”は、落語でいえば“つかみこみ”、“楽屋オチ”といった禁じ手を恥ずかしげもなく使いまくったゲテモノであり、その結果、プロレスの賞味期限の到来を著しく早めてしまったのは今さら言うまでもない。

それ以降における“軍団間の抗争”の如きシナリオの採用にしても、プロレスラーとしてのキャラクター面での魅力の無さを陳腐なストーリーで補おうとした苦渋の選択に過ぎず、ネタが尽きればファンからそっぽを向かれてしまうのは当たり前。馬場さんの失敗は、むしろそんな安易な手法を(やむを得ずとはいえ)マネしてしまった点にあるのだろう。

ということで、本書が面白くない最大の理由は著者が馬場さんのファンではないからであり、あくまでも新日的な視線からでしかプロレスを評価しようとしていない。現在の、飛んだり跳ねたりしていなければ間が持たないプロレスラーの情けない姿を見るにつけ、そのキャラクターだけで存在感をアピールすることが出来た往年の名レスラーたちのことを懐かしく思い出す次第です。