PAN 〜ネバーランド、夢のはじまり〜

今日は、妻からのリクエストにお応えして「PAN 〜ネバーランド、夢のはじまり〜」を見に行ってきた。

様々な理由から洋画は出来るだけ字幕版で見るようにしているのだが、午前中にヤボ用が入っていたせいもあって、都合の良い時間帯に上映されているのは日本語吹替版ばかり。一瞬躊躇したが、まあ、一足先に公開されている全米での興行成績を見ても、それほど字幕版にこだわる必要は無さそうであり、あっさり妥協して吹替版での鑑賞となった。

そんな訳であまり期待しないで見ていたため、開始早々、何度か意識が飛んでしまったのだが、海賊船の飛行シーンはなかなかの迫力であり、ピーター、フック、スミーの三人が海賊船を奪って逃走を図るあたりから完全に目が覚める。その後も何度となく面白くなりそうな気配は感じられるのだが、そんな期待は最後まで空回りを続け、結局、“子どもだまし”の評価を超えられないまま終わりを迎えてしまう。

まあ、最大の問題は、アイデア不足のためにピーターパンの世界観に新たな視点を付け加えることが出来なかったことにあるのだろうが、もう一つの直接的な敗因として挙げられるのが、ストーリーテリング自体の下手なところ。各エピソードがイモつなぎになっているために観客は次の展開を予想することが出来ず、ワクワク感や意外性を楽しむ余地が最初っから無いんだよね。

監督のジョー・ライトは決して下手な人だとは思わないが、これまで起承転結のはっきりした文芸作品を中心に扱ってきたために、ファンタジー系の作品では本領を発揮できなかったのかもしれない。「つぐない(2007年)」の後半で見せた優れた映像感覚の片鱗は本作でも一部見られたが、スーパーマンみたいなピーターパンの飛行シーンはちょっと勘弁して欲しかった。

ということで、吹替えへの水川あさみの起用に、白人版タイガーリリーに対する非難的意味合いが込められているのであれば一応納得なのだが、彼女と成宮寛貴の掛け合いは俗っぽすぎてファンタジーの雰囲気ぶち壊し。エンドクレジットで流れる松田聖子の曲に関しては、妻と“金を出したのは映画側? 曲側?”と議論しながら帰途につきました。