ダークナイト ライジング

今日は、家族で「ダークナイト ライジング」を見に行ってきた。

前作の「ダークナイト(2008年)」に関しては、妻も娘も、先日、TV放映されたものを鑑賞済みであり、ジョーカーに扮したヒース・レジャーの迫真の名演技にいたく感動していた模様。おかげで、4年前には叶わなかった俺の劇場鑑賞の願いにも、今回はあっさりとOKを出していただけた。

さて、作品の方は、今まで見たことも無い大迫力のハイジャック・シーンから始まると、後は次から次へと畳み込むように繰り出されるクライマックスの連続であり、意図的なダレ場は一切出てこない。観客に考えるヒマを与えないノーラン監督の狡猾さ(?)はいつものことであるが、前作を上回る164分という上映時間中、一度も退屈しなかったことだけは間違いない。

まあ、後になって考えれば、終盤におけるどんでん返しの連続に頼ったようなストーリーは前作より数段落ちるし、“犯罪の裏側に存在する恐怖”をいかにして克服するかという、この三部作の底流をなすテーマに対する明確な回答(=というか、回答を模索する努力の跡?)も見当たらなかったような気はするが、そんな脚本上の欠点を補って余りあるのが、映像表現の圧倒的な素晴らしさ。

冒頭のハイジャック・シーンに始まり、中盤の大規模なスタジアムの爆破シーンを経て、ラストの迷彩柄バットモービル対バット&バットポッドの戦闘シーンに至るまで、どうやって撮ったのかと思うような大迫力の映像が目白押しであり、それらを映画館の大スクリーンで(意図的に)いつもより前よりの座席から鑑賞することが出来たという幸せは、何ものにも代え難い。

ということで、アン・ハサウェイ演じるキャットウーマン猫耳が実はゴーグルだったという秀逸なアイデアを含め、三部作の締め括りとしてまずは大満足の出来であり、まあ、ラストの余計などんでん返しも、(娘の言うとおり)アルフレッドの気持ちを考えれば素直に受け入れるべきなんだろうと思います。