白痴

ドストエフスキーの5大長編の一つであり、これで5作品を全て読了。

主人公のムイシュキン公爵は、幼少の頃から重度のてんかんを患い、成人するまでスイスの片田舎で療養生活を続けていたという設定であり、少年のように純粋な心をそのまま持ち続けている青年。極度の世間知らずの上、他人との距離のとり方が分からないということで、しばしば“白痴”と陰口を叩かれることもあるが、一応、知的障害は無いらしい。

あとがきを読むと、ドストエフスキーはこの人物にイエス・キリストをイメージしているらしいのだが、残念ながら俺の抱いているイエス像とはあまり重なり合うところは無く、主人公の割には自意識が希薄なため、この長編作品の屋台骨を支えるキャラクターとしては少々魅力に欠けるように思えた。彼の影のような存在として登場するロゴージンにしても、とても一筋縄で理解できるような人物ではない。

また、5大長編の他の作品に比べ、ミステリイの要素に乏しいのも俺がこの作品をあまり楽しめなかった大きな理由の一つ。中盤で、孤児となったムイシュキン公爵の面倒をみてくれたパブリーシチェフという人物の存在がクローズアップされるのだが、結局、彼が幼いムイシュキン公爵の養育費を負担し続けた理由も最後まで明らかにされない。

まあ、レーベジェフにリザヴェータ夫人、イヴォルギン将軍、イポリートといった興味深い脇役が大勢登場するし、他の作品と同様、ロシア的なものと西欧的なものとの葛藤というテーマも見え隠れするということで、決してつまらなくはないのだが、5大長編中の個人的な位置付けとしては、残念ながら最下位の作品になってしまった。

ということで、前々から考えていたのだが、5大長編読破を記念して、今度、黒澤の「白痴(1951年)」を見てみようと思う。上映時間は166分と当時としてはかなり長めではあるが、この長編小説のどの部分にウェイトを置いて映画化しているのか、今のうちから興味津々といったところです。