汚れなき悪戯

1955年作品
監督 ラディスラオ・ヴァホダ 出演 パブリート・カルヴォ、ラファエル・リベリュス
(あらすじ)
19世紀前半のスペイン。フランス軍との戦いにより廃墟となっていた建物が修道院として再建され、僧院長(ラファエル・リベリュス)以下12人の修道士達が共同生活を送っていた。そんなある朝、門前に生まれたばかりの赤ん坊が捨てられているのが見つかり、マルセリーノ(パブリート・カルヴォ)と名付けられたその子を修道士たちが育てることになる....


昔、TVで見たことがあるのだが、そのときは結末にいま一つ納得がいかなかった記憶のある作品。

そんなこともあって、今回はちょっと気合を入れて観賞に臨んだ訳であるが、いくら奇跡だからとはいえ、幼い子どもが死んでしまうという結末を一般的な意味でのハッピーエンドと考えることにはやはり相当な抵抗がある。いろいろ考えてみたのだが、多分、本作の基本的な筋立ては、映画の冒頭に登場したような死すべき運命にある子どもたちの心の慰めとして語り継がれてきた物語が元になっているのだと思う。

本作の制作関係者が偉かったのは、この物語をそういった特殊な状況に限定することなく、マニュエルという架空の友達の存在(=マルセリーノの空想癖の強調)やサソリに刺されるという事件(=本当の死因はおそらくこれの後遺症)を伏線として配することにより、あの奇跡をマルセリーノの空想の産物として解釈する余地を残したところであり、そのような見方からすれば、本作は紛れもない悲劇ということになるのだろう。

まあ、そのような狙いが完璧に上手くいっているとは言い難く、特にあの修道士たちが奇跡の現場を目撃するというシーンは完全に余分だったような気もするが、マルセリーノの可愛らしさや修道士たちの誠実でどこかユーモラスな暮らしぶり、そしてあの変化に富んだ雲の様子をはじめとする印象的な映像には、そんな欠点を補って余りあるものがあり、それらを見ているだけで十分に楽しめる作品となっている。

ということで、本作の結末に関しては自分なりに納得できたのだが、今度はあのキリスト像が屋根裏部屋に押し込められていた理由が気になってきた。単に偶像崇拝を禁止する教えに忠実だっただけなのかもしれないが、そうであればそもそもあの像が修道院内に存在したこと自体が謎であり、今度、偶像崇拝関係の本でも読んで勉強してみようと思います。