私の殺した男

1932年作品
監督 エルンスト・ルビッチ 出演 フィリップス・ホームズ、ライオネル・バリモア
(あらすじ)
第1次世界大戦の終結から1年を経過したパリのある教会では、平和の尊さを称えるミサが行われていたが、その戦争に一兵卒として参加したポール・レナード(フィリップス・ホームズ)は、自分が戦場で殺した若いドイツ兵のことをどうしても忘れられずにいた。そのドイツ兵が書き遺した手紙から彼の名前や住所を覚えていたポールは、自分の罪を許してもらうために彼の故郷を訪ねることを決意する....


エルンスト・ルビッチが「陽気な中尉さん(1931年)」の翌年に発表した作品。

ウォルター・ホルダーリンというそのドイツ兵の実家には、年老いた両親と彼のフィアンセのエルザが暮らしているのだが、彼等はポールのことをウォルターがパリで暮らしていた頃の親友と勘違いしてしまい、ポールはそんな彼等から家族同様の歓待を受けることになってしまう。

生きるべきか死ぬべきか(1942年)」を撮った頃のルビッチであれば、この勘違いをネタに軽妙なドタバタ喜劇を見せてくれたのかもしれないが、本作の彼はいたって大真面目。所々で彼らしいユーモラスな演出を見ることも出来るものの、主役のポール君は極めて誠実な性格の持ち主に描かれており、神父の“仕方なかった”、“神は許してくれる”という言葉にも自分を納得させることが出来ない。

まあ、昔のハリウッド映画ということで、フランス人もドイツ人も皆が英語で会話するような作品なのだが、本作の公開された1932年というのはナチスドイツ国内で第一党に躍進した年であり、そのような時期にドイツ出身のルビッチがこういった内容の作品を発表したことはとても興味深く、その志は高く評価されて良いと思う。

特に、ウォルターの父親であるホルダーリン医師(ライオネル・バリモア)が、フランス人であるポールとの交流を通じて、若者たちを戦地に追いやった責任が(フランスにではなく)自分たち父親世代にあることを悟るシーンはなかなか感動的であり、残念ながら我が国ではこういった視点に立った作品にめったにお目にかかることが出来ない。

ということで、少々意外なラストには、当然、否定的な評価もあるだろうが、ポールが望みどおりウォルターの両親からの許しを得るという展開に比べればずっと現実的であり、彼の性格からすれば、決して安易な結末と言うことも出来ないと思います。