1946年作品
監督 黒澤明 出演 原節子、藤田進
(あらすじ)
昭和八年の京都帝国大学。迫りくるファシズムから学問の自由を守ろうと奮闘する八木原教授は、野毛(藤田進)や糸川をはじめとする多くの学生から慕われていた。しかし、急進派の野毛は八木原のやり方に満足できず、大学を去って左翼運動に身を投じてしまう。八木原の一人娘の幸枝(原節子)は、そんな野毛にどこか惹かれるものを感じていた….
今まで見逃していた黒澤作品を見る特集の第5弾になる訳だったが、作品の冒頭部分を見ただけで、前にVTRで一度拝見していたことが判明。しかし、まあ、せっかくなので最後まで鑑賞させて頂いた。
黒澤の戦後第一作目であり、八木原は京大事件の滝川幸辰を、野毛はゾルゲ事件の尾崎秀実をモデルにしているとのこと。これに対し、原節子扮する幸枝には特定のモデルはいないんだと思うけど、これがちょっと異常なくらいに立派な“信念の女性”として描かれており、正直、相当リアリティに欠ける。
幸枝は、反政府主義者として志半ばで死去した野毛に代わり、“スパイの家”として村八分にされていた彼の実家に“嫁”として単身乗り込み、放心状態の義父母を助けて村人の迫害に立ち向かう。このへん、映像はイタリア映画並みのドキュメンタリイタッチで撮られているんだけれど、そもそもお嬢さん育ちの幸枝が過酷な農作業に従事するという展開自体が不自然というべきだろう。
まあ、こういった作品を撮ることは、黒澤をはじめとする当時の映画人にとっての“禊”として必要だったのかもしれないないが、終戦とともにみんな戦争のせいにしてしまうのはちょっと皮相的であり、白々しい。野毛家の人々を村八分にした村人の罪は終戦になったからといって自動的に解消されるべきものではないし、また、結果的にとはいえ戦争協力者になってしまった糸川にしても、彼なりの責任の取り方みたいなものをきちんと描くべきだったろう。
ということで、やはり終戦直後の日本映画にはいろんな意味で“余裕”が感じられず、名匠黒澤監督作品といえども決して完成度が高いとはいえない。そんな中、野毛の母親役に扮した杉村春子の演技は素晴らしく、ドキュメンタリイタッチな映像に唯一人見事にハマっておりました。