風の中の牝鶏

1948年作品
監督 小津安二郎 出演 佐野周二田中絹代
(あらすじ)
雨宮時子(田中絹代)は幼い一人息子の浩を抱え、なかなか外地から復員してこない夫修一(佐野周二)の帰りを待ちわびていた。しかし、女手一つの生活は苦しく、生活費の足しにと売り払ってきた家財も底を突く有様。そんなとき、浩が急病にかかり、その入院費を工面するために時子は自分の体を売らざるを得ない状況に陥る….


小津安二郎が「晩春(1949年)」の前年に撮った作品。“小津らしくない”という評判どおり、ストーリーは相当悲惨な内容で笑いの要素はほとんどない。

売春という重荷に苦しんでいた時子は、復員してきた修一にすべてを告白するんだけど、その重荷を一緒に背負ってもらえると思った夫は彼女の告白を聞くなり一人で苦悩モードに陥ってしまい、それからは理性と感情の狭間で揺れ動く修一の様子が中心となって描かれている。

まあ、なにも復員してきたその日に事実を告げなくてもとは思うんだけど、これを機に苦悩する主体が時子から修一に交代してしまうところが興味深い。すなわち、ここからは(売春の是非よりも)修一が時子を許せるか否かという点が重要になってくる訳で、彼女は夫の許しがあれば重荷から解放されるということなんだろう。うーん、このへんの男女観というのは、同じ年に「夜の女たち(1948年)」を発表した溝口健二とは相当異なるんだろうなあ。

その「夜の女たち」にも主演していた田中絹代は、やはり売春を行うシーンは直接描かれていないものの、珍しく(?)生活感が出た演技を見せており、決して悪くない。相手役の佐野周二の二枚目ぶりも懐かしかったが、彼の職場の同僚役で出演している笠智衆の若々しさは、彼が翌年の「晩春」で原節子の父親役に扮していることを考えると、今更ながらちょっと凄いなあと思ってしまう。

小津は本作品の後から路線を変更し、「晩春」、「麦秋(1951年)」、「東京物語(1953年)」といった優れた作品を発表していく訳で、その意味ではこの路線変更は大成功だったんだろうけど、その反面、晩年はセルフ・リメイクみたいな作品ばかり撮るようになってしまった。このへんは最期まで新しい分野に挑戦し続けた黒澤と好対照であるが、どっちが良いのかというと、まあ、なかなかの難問ですな。

ということで、“小津らしくない”といえばそうなのかもしれないが、決して失敗作ではないと思う。映画のラストで予期せぬちょっとした事故が原因で夫婦は仲直りするんだけど、これって落語の「厩火事」のパクリって訳じゃないよね。それと、Wikipediaを含む一部のネット情報で三宅邦子が出演していることになっているが、それは間違いで、時子の友人役の井田秋子に扮しているのは、村田知英子という女優さんでした。