数か月前に見たルネ・クレマンの「居酒屋」が何故か頭から離れず、ゾラの原作のほうを読んでみた。
両者を比較してみての一番の違いは、原作の方では洗濯屋が潰れた後もジェルヴェーズが死ぬまでの間を描いている点だけど、それ以外にも何人かの登場人物を省略したり、時間の経過を早めたりとクレマンは映画化に当たっていろいろ工夫をしているのが分かる。
特に重要なのは後者の点で、原作ではクーポーとの結婚から洗濯屋が潰れるまでに10数年が経っているのに対して、映画の方ではこれを5、6年の間の出来事として描いている。そのため、原作では洗濯屋が潰れた時点でジェルヴェーズは醜く肥え太り、ナナも一人前の不良少女に成長しているんだけど、映画の方では彼女らのそんなお姿を映さずに済ませているんだよね。
これには技術的な問題(=マリア・シェルをメイクで太らせたり、ナナ役を複数起用する等々)を回避するという目的もあったのかも知れないが、おそらくそれ以上に映画としての面白さ(=ジェルヴェーズの健気さ、ナナの可愛らしさ等々)を最後まで維持しようとする計算があったのだと思う。
まあ、これに対しては“甘い”という意見もあるかもしれないが、原作に忠実に撮っていたならおそらく目を背けたくなるほど救いのない映像になっていただろうし、あの後、彼女たちが原作で描かれているような末路をたどるであろうことは十分予想できるような演出になっているので、俺はクレマンのやり方は間違っていなかったと思う。
ということで、今から130年以上前の作品なのに今読んでも十分感動的。まあ、ホームレスの方々のことなんかを考えれば、この作品のテーマは現代でも十分通用するし、俺自身、家族や仕事を失っても一人で立派に生きていけるのかと考えてみると、うーん、ちょっと自信無いかなあ。
あ、それと映画のナナ役に扮していたシャンタル・ゴッジって、「シベールの日曜日(1962年)」に出ていたパトリシア・ゴッジのお姉さんなんだってね。