日本国民の「反省」と「謝罪」

小泉総理が8月15日に靖国参拝を強行?した。ご自身のコメント内容はグダグダであるが、「任期切れ寸前の身なら、少々のおイタも大目に見てもらえるはず」という計算高さは、いつものことながらお見事。

で、中韓両国からは、例によって日本の戦争責任を蒸し返すようなご意見が出され、少なからぬ日本人の方々が「こんなに謝っているのに、まだ許してくれねーのかよ」と嘆息するというパターンが今年も繰り返される訳である。

ところで、人が過ちを犯した場合、通常、「反省」と「謝罪」という行為が要求される。(場合によっては、それに「損害賠償」という行為が付随する。)これを、この前の戦争について考えてみると、日本国民が前の戦争、特に日中戦争に対して反省していることは、まず間違いない。まぁ、日教組のインボーもあったのかもしれないが、一部から自虐的といわれるほど反省してきた。

しかし、反省と謝罪は別の行為であり、では謝罪のほうはというと、何とも心許ない。日中国交回復が遅れたということはあったにしろ、総理大臣がちゃんと謝ったのは平成7年の村山内閣のとき。天皇にいたっては「遺憾に思う」レベルで、未だ正式に頭を下げたことはない。

要するに、日本国民は敗戦後60年間以上真摯に反省してきたのに対し、謝罪はせいぜい10数年間。俺は、このギャップが中韓両国と日本の国民感情の差として現れているような気がする。(残る「損害賠償」が十分かどうかについては、正直良く解らない。でも、損害賠償の金額を値切るために謝罪を曖昧にするというのはよくあることなので、若干の懸念は残る。)

ということで、個人的には来年の8月15日には天皇中韓両国へ行ってもらい、ちゃんと頭を下げてきて欲しい。そして、これを10年間くらい続けた上で、それでもダメなら「まだ許してくれねーのかよ」と嘆息することにしたい。