ある戦慄

1967年作品
監督 ラリー・ピアース 出演 トニー・ムサンテ、マーティン・シーン
(あらすじ)
ある日曜日、深夜のニューヨーク。子連れのサラリーマン夫婦や若者のカップル等、様々な乗客を乗せたマンハッタン行きの地下鉄の車両に、酒に酔った二人のならず者、ジョー(トニー・ ムサンテ)とアーティ(マーティン・シーン)が乗り込んでくる。しかし、厄介事とは関わり合いになりたくない乗客は、この二人の傍若無人な振舞いに対してもお互い見て見ぬフリを決め込む….


町山智浩氏の著書「トラウマ映画館」で取り上げられたことにより、一部で再脚光を浴びている作品の第二弾。

まず、ヒマを持て余したジョーとアーティの狂犬コンビが、通りがかりの男を襲って小銭を巻き上げるシーンを描いた後で、“運命の車両”に乗り合わせる人々の紹介が始まるのだが、彼等がいずれ狂犬コンビの犠牲になることを知っている観客は、この時点で早くもイヤ〜な気持ちにさせられてしまう。

そして、いよいよこの狂犬コンビによる陰湿な“乗客なぶり”が始まる訳であるが、仮に自分があの場所に居合わせたとしても、やはり本作に登場する乗客たちと同様、見て見ぬフリをするんだろうなあ、と思わずにはいられず、頼まれもしないのに勝手に自己嫌悪。まあ、このへんがトラウマ映画の真骨頂ということなんだろう。

しかも、最悪なのは、この狂犬コンビ、口先ばっかりで、腕っ節の方はからっきしダメだったことが最後の最後に判明してしまうところであり、それなら、彼等の狼藉にしてももっと早い時点で容易に止めさせられた筈ということで、観客は自分の態度(=見て見ぬフリ)を正当化する根拠を完全に失ってしまうんだよねえ。

まあ、一種の密室劇であり、後になって冷静に考えれば非現実的な部分も少なからず存在するのだが、少なくとも、見ている間は犠牲者が次々に入れ替わる巧みな展開に引き込まれてしまい、緊張感が途切れるようなことは全くない。これまで意識したことはなかったが、このラリー・ピアースという監督さん、なかなかの才人のようである。

ということで、主演のお二人以外にも、ボー・ブリッジスセルマ・リッター、ルビー・ディーといったところが顔を揃えているのだが、若手の俳優はデビューしてまだ間がない頃の作品ということで、全体的に地味〜な印象。そんなこともあって、決して見て楽しい作品ではないのだが、おそらく後味の悪い作品として、長く記憶に残ってしまうような気がします。