女峰山のイワカガミ

今日は、梅雨の晴れ間を利用して一人で女峰山を歩いてきた。

前回の“失業者登山”に対する妻&娘の反応は極めて好意的であり、さっそく図に乗って二度目の山行を決定。目的地はお気に入りの女峰山であり、本当は黒岩尾根か羽黒尾根から歩かなければいけないのだが、トレーニング不足から少々体力的に不安が残る故、実に12年ぶりとなる霧降高原からのピストンを選択し、午前5時前にキスゲ平園地のP3駐車場に到着する。

先着は1台だけだが、なかなか出発する様子を見せないので一足先に歩き出す(5時5分)。天空回廊(5時7分)に入ると数は少ないもののニッコウキスゲが咲き始めており、まだ初々しい花の様子を愛でながら階段を上って最上部(5時32分)に到達。ここまでてっきり一番乗りだと思っていたのだが、小丸山(5時35分)~焼石金剛(6時4分)と歩いて行く途中で数百メートル先を行く4人連れのグループを発見してしまい、う~ん、いったい何処に車を駐めたのかな?

6時28分に着いた赤薙山(2010m)の山頂にはその4人組と思われる皆さんが休んでおり、会釈をして先に行かせてもらう。足元には白いイワカガミの群生が可愛らしい花を咲かせており、ちょっと珍しいなあと思いながら歩いていくと、奥社跡(7時9分)の先からはいっせいに赤色へと変化してしまい、まるでちょっとした源平合戦みたい。

その奥社跡の先からのルートは平坦でとても歩きやすく、個人的にはこちらの方が“天空回廊”の名に相応しいような気がする。ヤハズ(7時27分)を過ぎると空腹を覚えるようになったので一里ヶ曽根(7時51分)で本日最初の小休止。無風快晴の下で頬張るおにぎりの味は格別であり、好天の日を選んで山行の日程を決められることの有り難さを一人噛みしめる。

さて、水場分岐(8時3分)~ガレ場(8時27分)と進み、唯一のロープ場を上ってハイマツ帯に入ると山頂は目前であり、8時50分に女峰山(2483m)に着く。期待したとおりそこに人の姿はなく、男体山から大真名子山~小真名子山と連なる絶景を独り占め。しかし、先ほど空腹を癒やしてしまったので景色を楽しんだ後は特にすることもなく、9時6分に下山に取り掛かる。

復路は赤薙山の山頂を巻いたこと以外は往路を引き返すだけであり、一里ヶ曽根(9時52分)~奥社跡(10時27分)~巻道分岐(11時3分)~小丸山(11時45分)と歩いて12時9分に駐車場まで戻ってくる。12年前の記憶と同様、奥社跡から続く下りの連続は少々足に応えたが、本日の総歩行距離は13.4kmだった。

ということで、帰宅後、恐る恐る12年前の記録と比べてみたのだが、何と今回の所要時間は7時間4分で前回より19分も短くなっている。おそらく、それには前回は存在しなかった天空回廊の影響が大きいのだろうが、やはり12年前の記録を短縮できたのは気分の良いものであり、ちょっぴり自信回復にも繋がりました。

松本清張全集30

ノンフィクション作品の「日本の黒い霧」を収録。

順番通りなら「草の陰刻」という耳慣れない長編小説を収録した第8巻を読むべきところなのだが、ちょっとした箸休めの気分で本作を先に読んでみることにした。こちらは非常に有名な作品ということで名前だけは聞いており、題名のイメージから政界や官僚の汚職問題を取り扱っているのだろうと想像していたが、これは全くの勘違いだった。

では何を取り上げているのかというと、何と敗戦後のGHQによる占領期に起きた怪事件の数々であり、「下山国鉄総裁謀殺論」から「謀略朝鮮戦争」まで12編の作品が収められている。そしてその重要な背景の一つとして度々言及されているのがGHQ内部におけるG2(参謀部第二部・作戦部)とGS(民政局)との対立。

特に、ソ連中共の躍進を阻止するために我が国を反共の防波堤として利用したいと考えていたG2は、共産党労働組合に対する国民のイメージを悪化させるために下山事件松川事件白鳥事件といった事件の背後で暗躍し、“共産主義者は何を仕出かすかわからない危険な人たち”という印象を国民の意識に深く植え付けることに成功する。

最後の「謀略朝鮮戦争」の終わりの方で、著者は「中国と日本が不仲であることは、日本人に絶えず国際的な緊張感を持たせるのに役立つ。自衛隊は日本を防衛するというそれ自体の任務よりも、アメリカの極東における補助戦闘力となっている。新安保条約が、その鉄則の役割を演じる。このことが崩されないためには、アメリカは日本国民に絶え間なく共産勢力の恐怖を与えつづけねばならない」と書いているのだが、一部の保守主義者が騒ぎ立てているWGIPなんかよりもこちらの方を心配したほうが余程有益なことだと思う。

一方、本作の性格上、(あくまでも米国の利益優先という大前提の下ではあるが)理想主義的なニューディーラーが中心になって我が国の徹底した民主化を目指していたというGSの活動内容に関してはほとんど触れられておらず、う~ん、こちらについては別の本を読んで知識を補填しておく必要がありそうである。

ということで、本書の最大の特徴は、著者が小説家らしい推理力を遺憾なく発揮していくつもの大胆な結論を導き出しているところなのだが、まあ、それが仇になって「革命を売る男・伊藤律」のように現在では“要注意”とされている記述も少なくないらしい。それへの反省から生まれたのが後の「昭和史発掘」ということになるのだろうが、慎重になりすぎて何も書けないというのも大問題であり、個人的には本作における著者の手法を大いに支持したいと思います。

ノマドランド

2020年
監督 クロエ・ジャオ 出演 フランシス・マクドーマンドデヴィッド・ストラザーン
(あらすじ)
企業城下町だったネバダ州エンパイアは工場閉鎖に伴ってゴーストタウン化してしまい、長年、亡き夫とその町で暮らしてきたファーン(フランシス・マクドーマンド)は、当座の家財道具を一台のバンに詰め込んで車上生活の旅に出る。経済的な余裕はないため行く先々で生活費を稼ぎながらの旅になるが、同じ境遇の先輩キャンパーたちは皆親切であり、彼らのアドバイスを受けながら、一見、気楽な旅を続けていた…


今年のアカデミー賞で6部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、主演女優賞を受賞した作品。

我が国でも劇場公開されたらしいのだが、コロナ禍の影響もあってパスしてしまい、ようやくU-NEXTの有料配信で鑑賞。せっかくなので妻&娘にも声を掛けようかと思ったが、まあ、見て楽しくなるような作品ではなさそうであり、結局、一人寂しく拝見することにした。

さて、Amazonの倉庫や国立公園のキャンプ場などで季節労働(?)に従事しながら旅を続ける主人公の生活は、スタインベックの小説に登場するホーボーたちのそれを彷彿させるものであり、最初は“格差社会の犠牲者たちの悲惨な生活を描くことによって、現在の新自由主義社会を厳しく批判する作品”なのだろうと思って見ていた。

しかし、どうやら主人公が車上生活を選択したのは経済的な理由からだけでは無さそうであり、事実、優しい姉やキャンパーを卒業したデイブ(デヴィッド・ストラザーン)からの同居の誘いには決して応じようとしない。また、特に人間嫌いという訳でもなく、正直、主人公のコミュニケーション能力は俺なんかよりもずっと高そうである。

それでは彼女が車上生活を続ける理由は何なのかと言えば、長年住み慣れたエンパイアの消滅という悲劇が大きく影響していることはまず間違いなさそうであり、おそらく、自らのアイデンティテイの根幹を​なす“過去”の喪失という現実を直視したくないからなのだろう。せめて家族が残されていれば皆で思い出を語り合うことも出来るのだろうが、最愛の夫は既に亡くなっており、子供もいないようである。

まあ、このような生き方を“現実逃避”として批判することも可能ではあるが、高齢者の多いキャンパーたちに現実をやり直すための時間的余裕は残されていない訳であり、家の中に引きこもって悶々としているよりはよっぽどマシなんだろうと思う。

ということで、国土の狭い我が国で本作のような車上生活を続けることは困難だろうが、同じ高齢者の一人として今流行の“車中泊”にはちょっぴり興味はある。しかし、これまでの山歩きの経験からすると一番嬉しいのは“帰宅したとき”になるのは間違いないところであり、まあ、これは幸せなことなのだろうと思います。

戦場ヶ原のワタスゲ

今日は、妻と一緒に戦場ヶ原のワタスゲを見に行ってきた。

ハッキリしない今年の梅雨入りもようやく週明けには気象庁からの宣言があるらしく、ラストチャンスということで何処かに行こうと妻に提案。地元紙によると戦場ヶ原のワタスゲが見頃を迎えているそうであり、目的はすんなりそれに決まったのだが、それだけではちょっと物足りないのでついでに高山も歩いてこようと、午前9時過ぎに滝上駐車場に到着する。

ちょっとのんびりしていたせいで駐車場はほぼ満車だったが、それほど無理をせずに端のスペースに車を駐めることが出来、身支度を整えて9時6分に歩き出す。高山は我が家でも人気の山であり、妻と2人で歩くのもこれで4回目。山頂付近では散り残ったシロヤシオが見られたが、まあ、それ以外は特筆すべきこともないまま10時32分に山頂に着く。

今はクリンソウの時期にも当たっているため登山者の数はやや多目であり、山頂には4、5組ほどの登山者が休憩していたが、ソーシャルディスタンスの確保は容易。その後、10時57分に下山に取り掛かるが、こちら側のシロヤシオの株数は相当のものであり、見頃のときに訪れていたらさぞかし素晴らしい眺めだったに違いない。

さて、11時33分に着いた尾根上の分岐を右折し、白樺林~林道と歩いて12時5分に小田代ヶ原に入る。しかし、ここのベンチも混雑していたのでそのまま歩き続け、泉門池付近のベンチ(12時52分)に座って2度目の休憩を取る。その先の湿原に入るとようやくお目当てのワタスゲが見られるようになるが、既に見頃を過ぎていたのか、“一面真っ白”とはとても言い難い状態。

その代わりに見頃を迎えていたのが木道の左右に咲き誇るズミの花であり、まあ、確かにちょっと地味ではあるが、これだけ見事に咲いているのを見たのは初めてかもしれない。しかし、湿原を過ぎてしまえばそんな賑やかな雰囲気ともお別れであり、最後はめっきり人影の減った樹林帯の中を歩いて14時28分に駐車場へと戻ってくる。本日の総歩行距離は12.2kmだった。

ということで、高山については山頂までの所要時間が3回連続全く同じ(=1時間23分)という珍記録を更新中なのだが、帰宅後に確認した今回の所要時間は1時間26分であり、残念ながら(?)記録を4回連続に伸ばすことは出来なかった。しかし、ここが楽しいハイキングコースであることは間違いないので、今後も度々訪れることになると思います。
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ラーヤと龍の王国

2021年
監督 ドン・ホール、カルロス・ロペス・エストラーダ
(あらすじ)
“龍の石”の守護者ベンジャの一人娘であるラーヤは、友だちになれると信じたファング国首長の娘ナマーリの裏切りにあって龍の石を壊してしまい、それによって封印されていた魔物ドルーンを復活させてしまう。それから6年後、18歳になったラーヤはようやく“最後の龍”シスーを探し出すことに成功し、ドルーンによって荒廃してしまった世界を救うため、シスーと一緒に龍の石のかけらを集める旅に出る…


アナと雪の女王2(2019年)」に続くディズニー製の最新CGアニメ。

我が国でも本年3月に劇場公開されたのだが、Disney+からも同時配信(有料)されることが嫌われたせいか、近所のシネコンでは上映が見送られてしまう。映画館へ行くことを思えばDisney+の追加料金なんて安いものなのだが、まあ、それほど急いで見る必要もないだろうということで、追加料金なしで見られるようになるのを待って家族で観賞。

さて、舞台になるのはどこか東南アジア的な雰囲気を漂わせるクマンドラという世界であり、かつては多くのドラゴンに見守られた人々が皆一緒になって幸せに暮らしていたらしい。しかし、魔物ドルーンとの戦いでドラゴンが絶滅してしまって以降、人々の間に不信感が広がってしまい、今では5つの国に分かれて互いの覇権を競っている、というのが本作の設定。

このことからも明らかなとおり、本作のテーマは“信頼”であり、それを勝ち得るためには自ら率先してその手にした剣を投げ捨てなければならない。言うまでもなく、これは我が国の憲法第9条の精神であり、日本の子どもたちはそのことを誇りにして良いと思うのだが、残念がら我が国にもそれを信じない人々が少なからず存在するようであり、やはりラーヤのような勇気ある行動が待ち望まれているのだろう。

ちなみち、本作の龍がこの“信頼”を表しているのは言うまでもないが、それに対し、触れただけで人を石に変えてしまうというドルーンは“不信感”の象徴。水と龍の石が放つ光を苦手とするが、特に意識は有していないようであり、形状は黒い霧のようなものとして描かれている。娘によると、最近はこのように悪役を非人格化して表現する手法が流行りらしいのだが、気を付けないとメッセージ性を弱めてしまうかもしれないところがちょっと心配ではある。

ということで、コロナ禍前のような派手な宣伝は控えられてしまった故、マスコミ等でほとんど話題にもならなかった作品であるが、ストーリーは良く練られており、蘇った多くの龍が大空を駆け回るラストシーンはTV画面で見るのではちょっと勿体ない。コロナ禍が一段落してからでも良いので、劇場公開とネット配信との関係をきちんと見直して欲しいところです。

梅雨入り直前の那須岳

今日は、梅雨入り前の晴天を利用して一人で那須岳を歩いてきた。

“失業生活”が始まって早2月。懸案だった庭や家庭菜園の整理も一段落ついたところであり、いつでも遊びに行ける状況なのだが、毎日働いている妻&娘の手前、一人で遊びに行くことについては少々の躊躇いが無きにしもあらず。しかし、あまり家でブラブラしていると腹部の贅肉が気になってくるのも事実であり、勇を鼓して(?)午前6時過ぎに峠の茶屋の駐車場に到着する。

身支度を整えて6時10分に出発。今日の予定は三本槍岳、朝日岳、茶臼岳を巡るいつもの“コンディション調整コース”であり、峰の茶屋(6時39分)~朝日の肩(7時00分)~熊見曽根(7時7分)~1900m峰(7時13分)~清水平(7時26分)~北温泉分岐(7時33分)~三本槍岳(7時52分)~北温泉分岐(8時13分)~清水平(8時20分)~1900m峰(8時31分)~熊見曽根(8時36分)~朝日の肩(8時41分)~朝日岳(8時47分)~朝日の肩(8時53分)~峰の茶屋(9時16分)~茶臼岳(9時44分)~牛ヶ首分岐(10時17分)~牛ヶ首(10時34分)~峰の茶屋(10時57分)と歩いて11時20分に駐車場に戻ってくる。

本日の総歩行距離は13.9kmであり、所要時間は5時間10分と昨年8月の記録を20分ほど上回ったが、それは前回省略した牛ヶ首を経由したためであり、茶臼岳山頂までの所要時間で比較すると今回のほうが逆に20分ほど短くなっている。その理由としては比較的気温が低かった(=快晴だったが、少々風が強かった。)ことが大きいが、まあ、何はともあれ前回の所要時間を短縮できたのは気分の良いものである。

ということで、今回の山行にあたっては行きも帰りも一般道を使って高速料金を節約した他、シャツ、パンツ、靴をワークマンの製品で統一するなど、自分なりの“失業者登山”スタイルの構築に努めてみたのだが、特に支障は感じられない。まあ、遠出のときには難しいかもしれないが、今後もいろいろ安上がりの方法を(楽しみながら)模索してみたいと思います。

ホブスンの婿選び

1954年
監督 デヴィッド・リーン 出演 チャールズ・ロートン、ブレンダ・デ・バンジー
(あらすじ)
3人の娘と一緒に靴屋を営んでいるホブスン(チャールズ・ロートン)は大酒飲みの暴君。娘たちの不平が喧しくなってきた彼は次女アリスと三女ヴィッキーを嫁に出そうと考えるが、持参金を出すのが惜しくてなって計画は頓挫。一方、オールドミスということで婿選びの対象から外れた長女のマギー(ブレンダ・デ・バンジー)は、腕の良い靴職人ウィリー・モソップとの結婚を一人で決めてしまい、家を出て二人で小さな靴屋を始めることに…


名匠デヴィッド・リーンが「旅情(1955年)」の前年に発表した英国映画。

昔から見てみたかった作品の一つであり、新たにU-NEXTのラインアップに加わったことを知って早速拝見。ちなみに、原題である「Hobson's Choice」というのは英国の慣用句に由来するそうであり、意味は「選り好みの許されない選択」ということらしい。

さて、本作の最大の魅力が主演を務めるチャールズ・ロートンのアクの強い演技にあるのは間違いないところであり、傲慢ではあるものの、どこか憎むことのできない愛嬌ある悪役ぶりはまさしく彼の独壇場。彼はこの翌年に問題作「狩人の夜(1955年)」で監督デビューを果たすことになるのだが、もしそれがすんなり成功していたら、本作が彼の映画俳優としての最後の作品になっていたのかもしれない(?)。

そして、そんな名優を向こうに回して大奮闘の演技を見せてくれるのがブレンダ・デ・バンジーであり、彼女が演じている長女マギーは作品の舞台になっている英国ビクトリア朝の因習を一気に飛び越えてしまったスーパーレディ。ウィリーの靴職人としての腕と自分のマネージメントの才能があれば、独立しても十分やっていけると考えた彼女は、単身ウィリーの婚約者の家に乗り込み、見事略奪婚に成功してしまう。

その後も彼女の活躍は留まるところを知らず、遂には世間知らずでバカ真面目なウィリーをモソップ=ホブスン靴店の共同経営者にすることに成功するのだが、正直、終盤は少々やり過ぎの感が無きにしもあらずであり、あの思わずニヤリとしてしまう絶品の新婚初夜シーン(=ここまででその後の展開は十分予想できる。)で終わりにしておけば、一分の隙もない大傑作に仕上がっていたかもしれない。

ということで、デヴィッド・リーンというと「アラビアのロレンス(1962年)」に代表されるような大作のイメージが極めて強いのだが、その一方で本作のような小品においても優れた才能を発揮しているところであり(=ジョージ・スティーヴンスに似ているのかな?)、正直、「旅情(1955年)」の他にもう1、2本こういった佳品を手掛けて欲しかったところです。